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まちのこと

土の人の暮らし ~見立 大吹鉱山跡~ 前編

2021.11.04 ―


みなさん、こんにちは!集落支援員の佐藤です。

今回は見立にある大吹鉱山跡にある墓地に行ってきた話し!

行く前に日之影町史で大吹鉱山について調べてみることに!

大吹(大福)鉱山は、日之影町の秘境!最奥地、大分県との県境近くの見立地区五葉岳の麓にありました。

【大福(吹)鉱山(おおぶきこうざん)とは】

一説によれば、安土桃山時代の天正10年(1583)3月、織田信長に滅ぼされた甲州(山梨県)武田勝頼の家臣、高見但馬守安利(たかみたじまのかみやすとし)は武田氏の知将といわれた馬場美濃守信春(ばばみのうのかみのぶはる)の遺族とともに諸国を流浪し、日向の国(宮崎県)にたどり着き、見立の五葉岳山麓の大福(吹)山に銅鉱脈を発見し操業したといわれています。

天正10年(1582)から明治初期までの300年余りの間操業したと思われる。~日之影町史より~

現在も神社、寺屋敷、酒屋、女郎屋敷といわれる建物跡や墓が残っていることから、全盛期はかなり栄えた鉱山であったと思われる。

武田信玄公の家臣が甲州(山梨県)から日向の国(宮崎県)まで流浪してたどり着き鉱山を開業する、当時、飛行機や車何て物はなく歩き、しかも今のように綺麗な道路もなかったでしょうし、おそらく山道を歩き尾根伝いに見立にたどり着いたのでしょう。

日之影町と武田信玄公が結びつくとは思いませんから、歴史のロマンを感じてしまいました。

まだまだ日之影町の知らない歴史がかなりありそうです。

長くなったので、後編に続く