日之影の新しい挑戦者のためにプラットフォームを提供する。
藤岡洋一さん年齢71歳
日之影元気村オーナー

新しいチャレンジをする若者を
応援する場所でありたい

藤岡さんのことを話題にするそのまえに。まずは、この「おかげさまで日之影ライフ」Webサイトの「働くひと」にもすでに登場してくださったおふたり、幸福雑貨店Conneの平田ひかりさんと、髪切屋ライティングの所谷英紀さんのことからはじめましょう。

平田さんと所谷さん。このふたりにはいくつかの共通項があるのですが、おわかりでしょうか。ひとつは年齢的にまだ若い30代である、ということ。ふたつめは、この日之影のまちで自分のビジネスをゼロからスタートさせた起業家であるということ。みっつめは、UIターンした移住者であるということ。そしてよっつめは、自分の店を開いた場所がふたりとも「日之影元気村」であったということ、です。

おそらくこれは偶然ではないでしょう。ふたりがビジネスをスタートアップさせた「日之影元気村」は、日之影町七折地区の国道218号沿いにある複合型の商業施設ですが、同時にまた、まちのインキュベート施設的な役割を果たしている場所でもあるのです。2013年のオープン以来、スタートアップの企業や個人を招き入れ、2021年11月現在では、この「日之影元気村」にはパン屋や食事処、カフェや雑貨屋など10以上の店舗が並んでいます。平田さんも所谷さんも、この日之影元気村に入居した店子のひとり、というわけです。

そして、この「日之影元気村」というスポットを15年前から企画構想し、プロデュースしているのが、藤岡洋一さんです。 「もちろん町内のひとでもいいし、よそのまちからIターンしてきた移住者でもいいし、Uターンのひとでもいいし、そうでなくてもいいから、この日之影で若い人たちに新しいビジネスにチャレンジしてほしいんだよね」と藤岡さんは語ります。

この日之影元気村から
まちの未来をつくりたい

藤岡さんが日之影元気村の構想を抱いたのは、今から15年ほど前のこと。やりたいという志のある事業者たちに来てもらって、ここで商売をやってもらおう。それでいろんな店が並べば、たくさんの人が楽しみにやってくる場所なるだろう。そのために自分は、それぞれの事業者がやりたいように店作りできるような自由度のたかい空間を、できるかぎり安い家賃で用意してあげよう。ということを考えたのだそうです。

「そういう場所をつくろうとおもったのは、そういうものがないと日之影のまちがどんどん衰退するばかりだと思ったから。山と渓谷ばかりで産業が育ちにくいまちだから、自給自足型のまちおこしプランが必要だと考えました。このまちで農産物や素材だけをつくっていても、それだけではいいお金になりません。やっぱりきちんと6次化して、最終的な製品やサービスにまで作り上げることが重要なのです。ですから、そういうことがやれるような場所にしたくて」と藤岡さんは言います。

日之影元気村と一体化したエリアの中に、まだ借り手のいない、倉庫のような建物があります。これもまた藤岡さんが建てたもの。用途は未定。どんな施設にもなりうる可能性のある状態です。藤岡さん曰く「誰かにここで食品加工場をやってもらいたいんだよね」とのこと。

「いまは農業をやるひとも高齢化し、田んぼも畑も耕作放棄地が増えているから、それなら手間のかからない蕎麦や麦を植えたらいい。収穫したら、乾燥させたり、蕎麦粉や小麦粉にしたりする加工施設が必要になってくる。原料から加工へ、そして商品やサービスに変えていく、という事業を誰かがやらないと。

ここに米や蕎麦や麦の製粉機を置いて製粉するのもいいだろうし、穀物乾燥機とか柑橘類の真空乾燥機を置くのなんかもいいだろうし、椎茸乾燥機でもいい。椎茸を粉にしたものでも商品になると思うんだよね。ここに食品加工場ができれば、いろんな可能性が広がっていくはず。でも、それを、私がじぶんでするのは意味がなくて。若い人にやってもらいたいんです。じぶんも歳をとり、体力がなくなってきているしね。ひとつくらい何かをやり遂げて、誰かに渡していきたいのよ」と言います。

15年という年月をかけ、自らのお金とエネルギーも注ぎ込んでこの場所をゼロからつくってきた藤岡さん。その言葉の端々から、日之影の未来をひらかせたいという願いを感じました。

そんな想いが込められたこの日之影元気村から、また新しいチャレンジが生まれ、育っていくのを期待したいと思います。

日之影元気村

宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折2511-5

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