日之影の木で想いを形にしていく
星本敏子さん
年齢64歳
上田工芸

優しいせせらぎの音、透き通る水は青々とした緑を映し出す。そんな日之影川に目を奪われそうになりながら、川沿いをぐねぐね、またぐねぐねと進んでいくと見えてくる、“木工品”と書かれたのぼり旗。ここが、見立地区にある上田工芸です。挨拶をすると明るく柔らかな笑顔で店主の星本敏子(としこ)さんが、迎えてくれました。プランターに植えられた花々、のぼり旗、花を飾れる郵便受け、製材をする機械にぶつからないようにと考えられた木のカバー。その手仕事の全てから、敏子さんのアイデアが溢れています。
この集落の山奥にあるたった一軒のお店、「上田工芸」の中にはどんな作品やストーリーがあるのだろう。やさしい木の香りに包まれた工房の中でお話をうかがいました。

子供の頃に見ていた
父の大工仕事

敏子さんは生まれも育ちも日之影町見立地区。長い間、この町で暮らし、働き、日之影町の変化を見てきました。

「中学校ではソフトボールをしていました。女の子はソフトボール・男の子は剣道で決まっていて。ポジションはピッチャーとショートで1人2箇所ずつ、人数が少ないからどこでもできるように(笑)。現在この地区にお店は上田工芸だけだけど、私が小さい頃は、お店前の道路沿いには美容室や散髪屋さん、薬屋さんなどもありました。ここで町が成り立っていたっていうことが不思議ですよね」

上田工芸は敏子さんの生家がある並びに工房と店舗が並んで建っています。はじめたのは上田護(マモル)さん。敏子さんのお父様。

「父はもともと大工でした。宮崎県の方で弟子入りし、地元の見立に戻ってきてからも大工仕事をしながら、講堂のテーブルのような台や、お宮なども作って、何でもかんでも作っていましたよ。学校から帰って作業場をばっと開けたら棺桶ができてたとかね(笑)。子供の頃は『何でも作れる大工仕事ってすごいなあ』と思っていました。

その後、父が〈上田土木〉として独立し、土木の仕事を続けながら、60歳の頃に〈上田工芸〉を趣味で始めたんです。最初は近所の方などに無料でおぼんや鍋敷きなどをあげていたのですが、そのうち『売ってくれんじゃろうか』って人が現れて、販売するようになりました。
他の大工さんに言わせると、大工の仕事と工芸の仕事とは別らしくて、大工の人でみんなが器用に工芸品を作れるかと言ったらそうではないみたい。他の大工さんに『大工でここまでする人はめったにおらんよ』って言われてたそうです。父は、大工でありながら工芸品も作れる技術を持っていたみたいね」

父が大事にしてきた材料を形にして、
みんなに喜んでもらいたい

来月の11月で丸3年になる。どのように、敏子さんが上田工芸を継いだのでしょうか。そのきっかけについて聞いてみました。

「日之影には元気村という複合型の商業施設があって、〈上田工芸〉も5年ほど前にお店をだしていました。父に『店番せんか?』と言われて、私も一緒に始めてみることになりました。それまで工芸については未経験で、お店の裏でちょっと木を磨いたり作業をしていた程度で。ある時、父が体調を崩して作業ができなくなり、元気村に出しているお店を閉じることになりました。それをきっかけに、私にも何かできることがあれば、と見立の工房に通うようになって。ただ父は体調が悪かったため、技術を教わったり、一緒に作業する時間はもてなかったんです。父と一緒に作業をしていた職人さんが時々教えに来てくださったりしましたが、ほとんど一から自分で調べて、機械の取り扱いは説明書を読んで、大工さんのYouTubeチャンネルを見て工具の使い方・削り方など見様見真似で勉強していったんです」

“木工品”と聞くと、大きな置物やテーブル・イス、スプーンなどを思い浮かべるます。もちろんそういった商品もあるけれど、上田工芸では少し変わった工芸品が目にとまります。お客様からの要望に柔軟に対応し作られた、上田工芸ならではの作品たちです。

「お客さんから『こんなの作って!』と、様々な注文が来ることが多いんです。大体全部初めて作るもんじゃろ、できるかわからんけど調べて、頑張ってやってみますねって。例えばしゃもじは、左利きのお客様が『左手用を作って』と注文してきたことがきっかけで作るようになりました。デザインして出来上がった作品を見せると、『あ~いいね』って喜んでくれて。お客さんからの注文は、自分では考えつかないものなので勉強になるし、完成して喜ばれた時には感動しますね。他にも、時計を結婚祝いや新築祝にしたいとオーダーメイドで要望が入ることもあります。贈りものに選んでくれた方から『えらい喜ばれたよ』って言われた時は本当に嬉しい。できなかったことでも挑戦して、自分の手で形にして、お客さんが喜んでくれるっていうのがやっぱり一番の力になりますよね。」

時計はすべて欅の木を使用。木目が出やすく、木によって違う表情を楽しめる。

木のカゴは、逆さまにすると木の株だと分かります。これも素材の木との出会いを生かして作ったもの。機械がなかなか入らないため掘るのが大変。

柔軟な経験が“木の町・日之影”の
可能性を広げる

日之影町の見立地区は、日本国内だけではなく世界から人が訪れるほど、ボルダリング愛好家が多く訪れる土地。そのボルダーたちが、指のトレーニングで使用する〈フィンガープレート〉という道具があります。これを日之影の木を使って作ってほしいという声をきっかけに、プロのボルダーと敏子さんで制作することに。何度も試行錯誤を重ね完成させました。

「フィンガープレートの厚みは1番薄くて4mm、指を掛けるところのカーブは一番神経を使うし、丸い部分はサンダーである程度作って最後は自分の手で角度を見ながら一つ一つ削っていく…とても作るのが難しいんです。大変だけど、恩返しというか見立のために何かできれば、という想いで仕上げることができました」

町土の約91%を山林が占めるほど豊かな自然に恵まれている日之影町。山のおかげで日之影川は透き通るほど美しく、四季を通していろいろな色と表情を見せてくれます。木の香りをかぐと故郷を思い出す そんな日之影の木を加工して作る木工品はどんな場所にいても日之影町を身近に感じることができるのです。

「父が大事にしてきた日之影の木材を、私の手でなんとか形にし、みんなに喜んでもらいたいんです。昔は彫刻やテーブルなどが主流だったけれど、今は主婦の方や女性にも使って喜んでもらえるものを作っていこうかなと思っています。
これだけ多くの山に囲まれた町なので、林業も盛んだし、木材もたくさんあります。周りに山師の方も多いので頼りにしています。
それに工芸品店で、こんなに製材の機械が揃ってるところはあまりないと思う。ろくろでお皿や茶わんを作る貴重な機械もあるので、今後はそれを使って、新たな作品作りに挑戦していきたいと思っています。日之影のみなさんにも楽しみにして欲しいですね」

写真・文:甲斐 未有希(日之影町地域おこし協力隊)
写真:赤星辰弥(日之影町役場 地域振興課)

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