山の農業を営む。
今村浩二三さん年齢49歳
椎茸農家

恵みの森に育つ
日之影の特産品、椎茸

11月の終わり。椎茸農家・今村浩二三さんが暮らす今別府(いまびゅう)という名の集落は、冬と呼ぶにはさすがにまだ早いとはいえ、標高500メートル以上に位置する中山間地エリアというだけあって、ひんやりとした冷気に包まれている。

今村さんの椎茸畑は、山のなかにひっそりと広がっている。栽培方法としては、自生するクヌギの木を伐採し、1メートルほどの長さに切り、乾燥させてから、ドリルで穴を開けて椎茸の菌を植えつけ、繁殖させてゆくというもので、それらの作業を終えたいくつもの原木が、山の斜面に広がる畑にたくさん立てかけてある。そこで椎茸が大きくなるのを静かに見守ってゆくのだ。とてもシンプルで、とても根気がいる作業の積み重ねから成る農業だ。チェーンソーを使ったり、木を切ったり、運んだりするには相応の体力がいるし、木の乾燥にも、菌の繁殖にも時間がかかる。何百本もの原木を山の斜面の畑にかけていく労力は相当なものだし、もちろん椎茸が育つにもまた多くの時間を必要とする。

日之影の原木椎茸栽培は、急峻な山の斜面で、大変な手間と時間をかけて行われている。

急な山の斜面に広がる
薄暗く湿度の高い環境

椎茸の収穫期は春と秋。11月は秋の収穫の最後の時期である。膨大な数の原木が立てかけられた山の急な斜面を、今村さんは歩いてゆく。山というだけあって、ただ歩くだけでもエネルギーを消費する。

まちの特産品のひとつとなっている日之影の原木椎茸が立派においしく育つ秘密は、どうやら山にある。「面積の90%以上が森林」というだけあって、このまちの表面は山の木々に覆われているため、どんなに晴れていようと椎茸畑は薄暗く保たれる。直射日光を山の木々の枝葉が遮ってくれている。だから、いつも畑はひんやりとして湿度の高い状態が保たれている。まさにこれこそ椎茸が喜ぶ環境。この好条件が揃った生育環境のなかで、日之影の椎茸は元気にすくすく育つ。

原木からポコポコと椎茸が生えているのがわかる。今村さんはその様子を眺め歩きながら、大きくヒダの開いたものだけを選んで採っていく。

やがて5年ほどもすると原木は力を失うのだという。そこでお役御免となり、土に還っていく。そうなれば、また新しい木で、椎茸栽培をはじめる。クヌギを伐採し、乾燥させ、菌を打って、原木を並べて…という作業をまた積み重ねて、新しい椎茸畑をつくっていくのだ。

明るい日差しの中で
ラナンキュラスを育てる

椎茸農家を継いだ今村さんだが、新しい農業にもチャレンジしている。ビニールハウスでのラナンキュラス栽培だ。山中の椎茸畑とはまるで違い、こちらは降りそそぐ陽射しをぞんぶんに浴びた明るい環境下での農業である。

10月初頭に球根から栽培をはじめ、12月に最初の出荷の時期を迎える。ラナンキュラスは3月までに3回、花を咲かせる。一番寒い2月の花が一番キレイなのだそうだ。11月には20センチ程度しかない背丈が、冬には1メートルにも伸びる。寒さに強く、暑さに弱く、冷涼な高地の気候を好む。切り花として人気で、1ヶ月ほども美しく咲き続けるそうだ。JA高千穂では「あまてらすラナンキュラス」としてブランド化している。

今村さんは言う。「椎茸も花も『やったしこ』です。『やったしこ』っていうのは、手間をかけた分だけ、やっただけのことがかえってくる、という意味。ここでは、土地の気候や土壌や標高といった特性に合ったものを作るしかないですから、とにかく品質のいいものを丁寧に作っていきたいですね」

畑や田んぼ、農業の営みは、このまちでは山の斜面にある。椎茸たちが好む、日光の届かないひんやりとした畑も、花たちが好む、ひんやりとしながらも日光の当たる場所も、稲が好む、水が豊かで陽がそそぐ棚田も、ぜんぶ山にある。山が農業の現場であり、山が毎日の暮らしの営みの場なのである。

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